Greeting大橋靖雄先生のご功績を偲ぶ -そのご足跡を辿って。
(NPO法人日本臨床研究支援ユニット 理事長 甘利裕邦)

当法人(NPO法人日本臨床研究支援ユニット)の創設者であり、前理事長の大橋靖雄先生は1954年1月に福島県福島市で「銀嶺食品」を営む大橋家の長男として生まれました。銀嶺食品は、学校給食のパンを納めるほどの地元大手のパン屋さんでした。1972年に福島県立福島高等学校を卒業後、東京大学に進学、工学部計数工学科を1976年に卒業し、そのまま同大学大学院に進みましたが、1979年に同大学院工学研究科博士課程中退し、東京大学工学研究科の助手となりました。1982年に東京大学工学博士号を取得、1984年に東京大学医学部附属病院講師、1988年に東京大学医学部附属病院助教授となりました。この頃大学医療情報ネットワーク(UMIN)の初代責任者となっています。1990年には東京大学医学部疫学教室の教授に戦後の東大医学部教授としては最年少の36歳で就任しました。1992年に行われた学科改組に伴い、疫学教室は日本で初めての生物統計学を冠する講座(疫学・生物統計学教室)となり、以降同教室は日本をリードする生物統計家を輩出することとなりました。上記の学科改組および公共健康医学専攻の立ち上げに際し中心的役割を果たされ、とくに疫学・生物統計学の教育体系の確立と、看護短大卒業生の編入制度の開始など看護教育の充実にも貢献されました。

大橋先生のご活躍は大学教育の場に留まりませんでした。日本の製薬企業が実施する数多くの新薬開発に関する治験に統計家として参画し、臨床試験の結果の信頼性などに貢献されました。また、統計解析ソフトSASの日本のユーザー会の世話人代表を、立ち上げ初期から亡くなるまでの長き渡り、務められました。1989年には財団法人日本科学技術連盟(日科技連、現在、一般財団法人)に医薬データの統計解析コース(現在の臨床試験セミナー統計手法専門コース(BioS))を立ち上げました。その後も、メディカルライティング教育コース、臨床データマネジメントセミナー等を次々と主宰し、日本科学技術連盟に体系的な医薬・医療統計セミナーを築き上げました。現在までに4,000名を超える製薬会社の社員や大学病院に所属する研究者などの受講者に生物統計の知識を授けました。

2001年に当NPO法人日本臨床研究支援ユニットを設立し、理事長に就任しました。当NPOでは公益信託日本動脈硬化予防研究基金の支援で実施された日本動脈硬化縦断研究(JALS)0次統合研究の事務局となり、10コホートで20,000人弱の日本人の疫学コホートを統合するという正に国家規模の事業を推進し、その研究により、今後のEBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づく医療)の基礎となるデータを収集できました。また、がん患者の支援にも取り組み、がん電話相談センター(CTIS)を設け、患者からの問い合わせ・相談に無料で応じました。

2003年には2000年より財団法人パブリックヘルスリサーチセンター(現在は公益財団法人)にて立ち上げた乳がん臨床研究支援事業(CSPOR-BC)の功績が認められ、同財団法人理事に就任しました。また、JPOP(Japan Public Outreach Program)事業を立ち上げ、様々ながんや循環器病の患者の体験談や医師のインタビューが無料で視聴可能とするなど、患者への情報提供を目的とした活動を行いました。

生物統計家の存在感を高めるため2004年に立ち上げた東京大学発ベンチャーのスタットコム株式会社の取締役会長に2005年に就任、初めて東大医学部教授として兼業が認められ、多くの製薬企業及び医療機器企業、医師主導治験などの統計解析コンサルテーションを行い、生物統計家の活躍の場を自ら切り拓かれました。 その他にも、専門領域である日本計量生物学会のみならず日本薬剤疫学会、日本臨床腫瘍研究会(現学会)、日本臨床試験学会、日本メディカルライター協会の会長を初期に務め、これら学会の基礎作りに貢献されました。2014年に東京大学の定年退職を迎え、中央大学理工学部人間総合理工学科教授に就任、東京大学名誉教授になりました。2011年3月の東北大震災を契機に「きぼうときずなプロジェクト」を立ち上げ、福島県内で医療支援を進めました。

2021年3月11日永眠

本サイトは、大橋靖雄先生のご生前のご功績を偲び、また、大橋先生と関わられた多くの皆様と、その思い出を共有する場として開設いたしましたメモリアルサイトです。
皆様にとって、大橋先生との思い出を振り返る一つの機会となればと思います。

Coming soon今後思い出を振り返るコンテンツを公開予定です。
公開まで、しばらくおまちください。

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